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 なぜライセンス取得?

まず自己紹介から・・・

・生まれは1946年6月、団塊世代のはしりの世代。58歳(2004年初回渡米時点で)
・東京の下町、というか、東端、千葉県に近いところで育つ。近所の子供たちと群れて神社の境内でカンけり遊び、江戸川の川原で 、野球に、ボールが見えなくなるまで興じた。 一方で、タケヒゴ、バルサ材のゼロ戦の模型を作って飛ばしたり、天体望遠鏡を作ったり・・・。

  ・受験生激増の団塊世代のシビアな受験時代を経て、1966年大学入学。
  ・この4年前には、戦後初の国産旅客機YS-11が初飛行、1964年には東京オリンピックの聖火を運搬し、
   また1966年は、各航空会社が 導入をはじめた時期だった。

・工学部で専攻を選ぶ時期になり、なんといっても姿が美しく、また流体力学に裏付けられた形をもち、理路整然とした技術の体系 と、挑戦とアドベンチャーの歴史を持つ飛行機は 現代技術の華と思い、航空学科に進学。
・しかしながら、大学院修士課程を終了する前年1971年年末にはYS-11も生産中止決定、その後継機の開発計画無し、という時代背景であり、1972年、今はメジャーになった 自動車メーカーに就職。

・当時、アメリカを中心に自動車の排気ガス汚染問題が課題となっており、会社では、クリーンエンジン研究開発が最初の仕事。その後、研究開発業務にやりがいを感じ、のめりこんだ。 また74年から77年までアメリカ、カリフォルニアとミシガンにて駐在員生活も経験。

・とくに、2000年から2004年までは、 軽飛行機用ピストンエンジン開発プロジェクトリーダー。 アメリカのGeneral Aviation の世界と、空を生活にとりこみ楽しむ多くの人々に触れる機会をえ、またその人々のお祭、エアショーにも参加できた。

・そのプロジェクトが開発の区切りを迎え、開発が新組織に移行。自らは、58歳の誕生日直後の時期、開発リーダーを降りることになった。

・おおぞら、飛行機は少年時代からの憧れ、興味の対象。自動車メーカーにいてこれに関われるチャンスを得て、最後まで続けたかったが、 しばしばある会社マネジメント上の決定。


・そういう転機は自らをみなおす契機、58歳という年齢は、会社人生から次ステップを展望する時期でもある。

・定年、会社の人たちはこれを「卒業」と呼んでいたが、それまで2年。

・「人は必ず夢をもっていたはず、会社人生で暫し埋もれているだけ。他愛のない夢も含めて片手にあまる数はあるだろう・・・」とは大学かつ会社の先輩の言葉。

・共感。自分なりに考えれば・・
・やはりトップに、大空への夢が来る。
・プロジェクトを通じて、大空を飛ぶことが普通の人々の手に届く範囲にあるのも見てきた。
・大空を、仕事の対象から個人のものにしたい。


・同じころ、大空の夢を持ち、あるいは実践している人たちも周囲にいた。会社の航空研究会(同好会)、グライダーを楽しみ、競技に参加している人たち。
グライダー体験飛行や、モーターグライダーSuper Dimonaの試乗体験も大空へ背中を押す。
・子供が小さい頃、パラグライダーにはまり、2,3年は遊んだこともあったなあ。













・というわけで、思い立ったら実行。まず操縦ライセンス取得だ。

・もちろん不安も大いにあり。
・この年齢で、いったい飛行機のライセンスが取れるのだろうか?自動車の免許だって、高年齢者は時間がかかるというし、まして飛行機で・・・
・おまけに運動神経もいいほうじゃない。
・家族は、「この年で何を考えているの」風の目つきだけじゃなく、はっきり反対するし・・・



・会社の若い仲間に、前年2003年に、アメリカで飛行機操縦ライセンスをとったH 君がいたので、さっそくヒヤリング。

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